みやのとはずがたり

みやがつれづれなるままに語ります(主に歴史、古典文学、神社仏閣ごと)。

ふたりの愛のあかし~今林陵

半分妄想の記事になります。


京都、嵯峨野の清涼寺の近くに、
今林陵があります。



国史大辞典の今林陵の項目はこうです。

いまばやしのみささぎ 今林陵
後深草天皇皇女尊称皇后にして後宇多天皇後宮である遊義門院<女令>子内親王の陵。京都市右京区嵯峨大覚寺門前六道町にある。皇后は徳治二年(一三〇七)七月二十四日、万里小路殿にて崩御、即日たびたび御幸された嵯峨の今林殿に移し、同二十六日火葬、遺骨を今林に法華堂を建てて納めた。現在法華堂はなく陵標に宝篋印塔が立っている。なお後宇多天皇陵である五輪塔内に分骨が納めてある。(中村一郎)


尊称皇后にして後宇多天皇後宮に入った、
義門院<女令>子内親王の陵です。
※女令は女偏に令。

彼女は、後二条天皇准母として、
皇后になりましたが(尊称皇后)、
後宇多天皇に盗み出され、
その後宮に入りました。

時は、鎌倉の両統送立の時代。
持明院統後深草院の娘・遊義門院と、
大覚寺統後宇多天皇はいとこ同士ですが、
敵対している血筋でした。
後宇多天皇が遊義門院の入内を言い出せる状況ではなかったと思われます。
ですので、
後宇多天皇は、遊義門院を「盗み出し」たのでしょう。
※いい年齢の女性を「盗み出し」。同意の上だと思われます。


後宇多天皇には多くのきさきがいますが、
義門院の死をきっかけに、彼は出家しています。
おそらく、遊義門院を愛していたのでしょう。
(と、信じたい)


この時代の后妃の陵墓は、
治定されていない、
つまり、場所が不明なものもたくさんありますが、
今林陵は場所が治定されています。
現在でも残っているんです。

後宇多天皇が、陵をたいせつにしたあかしではないかと、
私は勝手に思っています。

この陵、こじんまりしていますが、
私はとても大好きです。

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後深草院二条の『とはずがたり』を漫画化した『後宮』。
最終話は、遊義門院が主人公です。