みやのとはずがたり

みやがつれづれなるままに語ります(主に歴史、古典文学、神社仏閣ごと)。

藤原げん子について

私が、ずーっと興味がある人物。


それは、藤原げん子。
(藤原嫄子。げんは女+原)


中学校3年生のとき、
藤原定子の和歌を見るために、国語教師に『栄花物語』を借りた。
そうしたら、巻末の系図に
定子の息子・敦康親王に娘がいることを初めて知った。
それが、げん子さんとの出会いだった。

よく、教科書に、
藤原道長は、娘たちを天皇に入内させ、その娘たちの皇子を天皇位につけることにより、権力を握った。
ひきかえ、息子の頼通は、娘を入内させたが子を産めず、それができなかった。』
とあるんですけど、
げん子さんは、その頼通の養女。

 

そして、
後朱雀天皇に入内して、中宮(皇后とほぼ同義)となり、
でも、皇子を産めず、早く亡くなっています。
奇しくも、祖母の定子と同い年で。

 

それを知ったとき、
皇子を『産めなかった』彼女は、
どんな気持ちだったんだろう、って、
ぴぴっときて。

藤原摂関家の衰退の
きっかけになったかもしれない彼女が、
道長の九条流を憎んでいたであろう、
定子の孫だというのもなにかのきっかけなのかなって。

ずーっと彼女に興味を持って、
中学校3年生から調べています。

彼女が、公卿の日記に顔を出すのは、
誕生、袴儀、後朱雀天皇への入内後であり、
彼女が何を考えて生きていたのかは、わかりません。

だからこそ、
私の創作脳が刺激されたのかもしれませんが。


平安時代を好きになるきっかけが藤原定子なら、
泥沼にはまったのは、藤原げん子がきっかけなんです。


王朝摂関期の養女たち

王朝摂関期の養女たち

『王朝摂関期の養女たち』。
彼女に関する論文があります。